三浦大輔、引退決断は「勝てなくなったから」 | 東京IT新聞

三浦大輔、引退決断は「勝てなくなったから」

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横浜DeNAベイスターズの三浦大輔選手が20日、引退会見を横浜で開いた。会見には三浦選手に加え、横浜DeNAベイスターズのチーム統括本部GM、高田繁氏も同席した。

三浦大輔選手は1991年の入団発表にて、高田商業高校からドラフト6位で横浜大洋ホエールズに入団。背番号は46、入団当初の目標は沢村賞としていた。

1992年、プロ初登板は10月7日の巨人戦。大洋ホエールズとしての最終戦でもあった。7回表に3番手投手として登板し2回を打者6人で片付けた。篠塚利夫選手から三振も記録した。

プロ初勝利は1993年9月4日。広島戦。2度目の先発で7回を2安打にまとめる。8回2死に金本知憲選手に本塁打を浴びるが、広島の4番江藤智選手から三振を奪うなど好投した。

1998年には自己最多タイのシーズン12勝を挙げ38年ぶりのセ・リーグ優勝に貢献した。

2005年に防御率で初のタイトルを獲得。リーグ唯一の2点台(2.52)とした。

2006年には100勝、1500奪三振、2009年には2500投球回数、2000奪三振到達。2011年、引退危機を回避、2012年には150勝到達。2013年には3000投球回、500試合登板、投手兼コーチに就任。2015年には23年連続勝利、2016年には24年連続安打。この25年間の間にプロ野球歴代9位の2473奪三振を記録している。


三浦選手は「いろいろ考えて、決断してから伝えたれていない方にも伝えられてホッとしました。引退の理由は勝てなくなったからです。引退は数年前から頭にありましたけれども、先発ができなくなったら、勝てなくなったらやめると決めていましたので」

「7月、8月と勝てず、その時には気持ちは固まっていました。ただもう一度勝負したいと思いましたので、9月の頭には甲子園の試合が決まっていました。気持ちはありましたけれども」

「もちろん家族には話しましたし、まだできるんじゃないのということもいわれました。でも、プロの世界は厳しいですし。チームメイトには昨日の試合後に伝えると決めていました。クライマックス決まってホッとしましたし、喜んでいるロッカーで報告はどうかなと思ったのですが、正直そのとき何を言っているのかわからなくなって、でも本当ですか、やめないでください、と今日も後輩たちに言われました。それは嬉しかったですね」

「まさかプロに入ったときに25年もやるとは思っっていませんでした、1年1年勝負だと思ってやってきました。試合で勝ったときにたくさんのファンが喜んでくれた。それが本当に嬉しかったですね」

と話した。


高田GMは「16日の甲子園阪神戦が終わった後、三浦選手から引退したいという申し出がありまして、この結論を出すまでは悩んだり、考えたりしたと思いますので、了承するしかなかった。大きな柱を失うことになるのですが、今後ともチームの力になってもらいたいと思います」とした。


なお、背番号18は横浜ナンバーと位置づけ、今後はふさわしい選手が登場するまで欠番とし、ふさわしい選手が登場したのちに検討する。
《編集部@CycleStyle》

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