およそ250年前、ベネチアの海上保険から始まったとされる現在の生命保険。多くの働き手が船に乗り、大海を横断して物資を持ち帰るという危険な仕事。一生懸命働く若者のために生まれたのが生命保険の原点だった。日本で初めて独立系ネット専業の生命保険を立ち上げた社長の出口治明氏は「現在の生命保険は働く若者のために運営されているようには思えない。だから、原点に戻り、生命保険を生み出した祖先が喜んでもらえるようなことをやりたい」と話す。

ライフネット生命保険株式会社・代表取締役社長 出口治明氏
営業員0人の生命保険会社
戦後初の独立系生命保険会社となる「ライフネット生命保険」(東京・千代田)が5月18日に開業した。同社の最大の特徴は「インターネットを主な営業窓口とする」という点だ。一般的な大手保険会社のような営業員を持たず、保険料の算出から申し込みまでウェブサイトで行うことができる。 保険は定期死亡保険の「かぞくへの保険」と終身医療保険「じぶんへの保険」の2つのみで、いずれも掛け捨てで条件もシンプル。保険料は全世代を通して安く抑えられており、死亡保険では20代・30代で同業他社と比較しても2割から3割安い。
例えば、36歳男性で既婚子1人の場合、定期死亡保険10年で保険金額を4000万とした場合、ライフネット生命保険の見積もりツールでは月額6822円となる。他社で同プランを試算すると最低でも8000円を超えるため割安感は高い。

ライフネット生命保険のホームページ(http://www.lifenet-seimei.co.jp)が無料で提供するツール「生命保険選びツール」の一つ「生命保険見積り」のページ。生年月日と諸条件を入力すると保険料が自動で計算される。とてもわかりやすい。保険料がいくら必要かわからない場合は、必要な保険を計算してくれるツールや現在加入している保険を見直すツールも用意されている
保険料の検討や見積もりは、ウェブサイトで提供される各種ツールで行うことができる。画面に諸条件を入力すれば、待たされることなく結果が表示される仕組みだ。ツールにはそれ以外にも、ライフプランシミュレーションツールや既存の保険比較検討ツールなども用意されている。ユーザー登録の必要なく、無料でいつでも使えるので、じっくり検討することができる。
申し込みは、ネット専業らしく、見積もりツールなどからボタン一つでスムーズに行うことができる。他の生命保険会社では契約後にしか見ることができない「約款」を確認することはもちろん、健康状態の告知もウェブサイト上で行うことが可能。本人確認書類などを送付する手間があり「ネットで完結」というわけにはいかないものの、申し込みから約10日で契約が成立するスピード感はまさにネット的といえる。
住宅の次に高い買い物 「保険」
これまでの生命保険といえば、営業員の存在が大きかった。顧客を獲得し、商品を説明・契約までこなすいわば「生命保険会社の代理人」である。人生で一番大きな買い物と言えば「家」が挙げられるが、生命保険はその次に大きな買い物といっても過言ではない。
家などの購入にあたっては、宅建業者との取引の際、法律知識を駆使して顧客に対し重要事項の説明をするなどの役目を果たすのが「宅建主任者」だ。厳しい合格率の国家試験をパスしなければ、この責務を全うすることができない。生命保険の営業員はこれと全く同じ立場に当たるといえる。
ところが、全国で25万人いるとされる保険営業員の資格試験は、実質的に合格率が100%だという。この影響を、ライフネット生命保険の代表取締役社長、出口治明氏はこう説明する。
「日本の生命保険会社の営業員は25万人いるといわれています。しかし、それだけの人員を抱えていると相当なコスト高になる。少子高齢化社会の到来は避けられないにもかかわらず、旧態依然としたビジネスモデルでは生命保険会社の展望は開けないのです」
実際、日本の生保大手の世界シェアは軒並み低下し、少子高齢を前に、保険金不払いなどの問題が多発し社会現象となっている。
また、生保営業員は「会社の代理人」という色が強いことも問題の一員となっている。営業員が売るのは生保一社のみ。さらに、一社専属システムは、必然的に「比較情報」を嫌う。当然、他社との比較はできず、会社から与えられた情報のみなので、わかりにくい。また、営業員コストを確保するため、さまざまなオプションやサービスを絡めており、複雑で分かり難い。
わずか30分で決意「邂逅」と「起業」
そこで「ベテラン」と「ベンチャー精神旺盛なネット世代」がタッグを組んだ。社長の出口氏は60歳。生保最大手の日本生命でロンドン支店長や国際業務部長を勤めた大ベテランだ。一方で副社長には、ハーバードMBA留学を経て立ち上げに参画した岩瀬大輔氏(32歳)が就任。
出口氏は、日本生命を辞める際、起業のことは頭になかったという。しかし、友人の紹介で、あすかアセットマネジメントリミテッドの谷家衛氏と出会い、すべてが変わっていったと話す。
「運命の出会い。彼のことは何も知らず会いましたが、一目惚れといっても過言ではありません」と、衝撃的な日々の幕開けを感じさせられた出口氏は、初対面からたった30分で起業を決意、ライフネット生命保険の話を切り出したという。
当時、保険業法の規制緩和による2006年4月から手数料部分の自由化が認められていた。市場規模は45兆円、仮に1%のシェアを獲得しても売り上げは4500億円である。また、保険金不払い問題などで消費者の不満が噴出している。「まさに、ベンチャー成功の要素はすべて揃っていると言ってもいいと思っていました」(出口氏)
規制緩和にあたり、他社の参入も考えられ、また数々の噂もあったのだが、実際は資本もノウハウもある「SBIアクサ」だけしか開業していない。生命保険の起業には多額の資本(100億円レベル)や内閣総理大臣の免許取得、業務精通者の確保など高い参入障壁があり、並大抵の努力では実現することが難しいのである。その点、ライフネット生命保険はまったくのゼロからのスタートを余儀なくされた。しかも出口氏は「生命保険を知らない人」を条件に出資者やスタッフを集めていったのである。

保険業界のオピニオンリーダーとして自社サイト内に社長ブログも開設し、生命保険に関する啓発にも努めている
消費者目線で真実の挑戦
スタート直後はたった2人。「ハーバード留学記」などのブログで名の知れた岩瀬氏が、谷家氏に誘われこのプロジェクトに合流。まもなく「あすかDBJ」と「マネックス」の折半出資で「ネットライフ企画株式会社(資本金1億円)」の設立が2006年10月に実現した。
金融庁との折衝を開始し、サービス設定や約款の策定に乗り出した。当時のスタッフは総務の女性社員を含めて3名。しかも共同オフィスである。
ところが、スタート直後、出鼻をくじかれる事件が起こる。「約款」を作るために、ひな形作りの参考にしようと考え、他の生命保険会社や、簡易保険を扱う郵政公社に約款を見せてもらおうとお願いしたのだが、軒並み断られたのだ。
「おかしな話ですよね。保険商品の諸条件について書かれた約款を、保険契約を済ます前に読むことができないなんて。ですから、まったく何も無い状態から、約款を作り始めました。予算もないので、コンサルタントにも一切頼まず、役員3人ですべて書き上げたのです。当然私たちの約款はホームページで公開しています」
なんでも自分でやる。これこそベンチャーの真の姿ともいえるが、出口氏にはさらなる「決意」があった。
「既存の生命保険会社に出資を求めず、大株主(20%以上の株を保有)を持たないということです。『親』がいては何をやるのにも言うことを聞かないといけない。新しい発想のビジネスをゼロから始めるのなら、他からDNAを持ち込まないという決意が必要です。だから、私の生保時代の友人・知人にも一切声をかけませんでした」(出口氏)
完全な消費者目線――。出口氏の起業にかける姿勢を言葉にたとえればそう言えるだろう。結果、出口イズムは、ネットを中心に自然と人々に伝搬していく。社員の多くは、ブログやホームページを見て、経営に魅了を感じ応募してきたのだ。
独立系ベンチャー、しかも安さを売りにしているサービスだけに、社員の給与や福利厚生も十分ではない。それでも、彼らはライフネット生命保険を成功させるべく、システムにシンプルで実績のあるパッケージを使うなど、さまざまな工夫を凝らし前進を続けている。
10年後にはアジアで最も評価される保険会社になることを目指す。生命保険のパラダイムを変える、そんな一大チャレンジのまっただ中にいる出口氏は「人々の意識を変える。変えられると信じている」とインタビューを締めくくった。

既存の生命保険では解約返戻金がでるタイプなどが一般的。ライフネット生命保険の掛け捨て型の「なぜ?」に答えるためのコンテンツ「目からウロコの保険塾」が用意されている。説明とイラストで構成される紙芝居形式で、とてもわかりやすい。目から鱗が落ちることうけあいだ
(
文:増田真樹、写真:岡部ユミ子
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